柏を“つむぐ”Webメディア・柏タイムズがお届けするインタビュー。

今回は、現在ヨーロッパを舞台にプレーを続けるサッカー選手・高橋一輝さんへお話を伺いました。

後編では、流通経済大学柏高校(以下:流経大柏)を飛び出し、高校3年生の夏に海外に飛び立った理由、そして海外でプレーし続ける今だからこそ「日本人」に届けたいメッセージを話していただきました。

前編はこちら↓

刺激的だった「スペイン」を取り巻くサッカー環境

ーースペインへ渡ったのが、高校3年生の夏・当時まだ17歳のタイミングであったとのことですが、海外挑戦を決めた理由を教えてもらえますでしょうか。

もともとは、小学生くらいの頃から海外サッカーに興味を持っていて、小さい頃はドイツW杯などで日本と対戦していたブラジル代表に心を惹かれていました。

ロナウジーニョを始めとした、ブラジル代表のプレースタイルがとにかくカッコ良いなと思っていて。

ただ、中学に入ってからは、柏レイソルがバルセロナのトレーニングメソッドに取り入れていたので、自然とそうしたポゼッションサッカーに惹かれるようになっていました。

行くタイミングとかは全然決めていなかったのですが、親には「いつか海外でやりたい」と小学生くらいの時から伝えていて。

いざ行くとなった時、最初はどうしても親に負担してもらうことになると思っていたので、前々からその気持ちや覚悟を持っていたことを、よく話していました。

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また、海外に行く一つのキッカケとして、中学3年生の高円宮杯が終わったあと、12月くらいにスペインで約1ヶ月ほど短期留学をする機会がありました。

当時は柏レイソルのスタッフには唐突に切り出してしまい、恥ずかしい気持ちを抱きながら相談したんです。

中学3年生の冬は怪我明けで全然動けていなかったですし、そんな状況でも自分の意思で「スペインのサッカーを体感したい」と伝えたら、許可をもらうことができ、1ヶ月間スペインのバルセロナに留学することになりました。

スペインでは、バルセロナの試合を観戦したり、育成年代の試合を生で見たりすることで、日本サッカーとの「熱さの違い」も体感することができました。

スペインでは公園で知らない人たちとサッカーで勝負することがあって、もうそんなことが日常茶飯事なんです。そんなサッカーが当たり前な環境に惹かれ、「いつか実際にスペインでサッカーをしたい」という気持ちが次第に強くなりました。

ただ、当時は自分が力不足であることもわかっていたので、「高校進学後に海外でプレーできる準備が整ったらサポートする」という約束を親と結んだことは覚えています。

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「選手権に出られる可能性は低い」と感じて選んだスペインへの渡航

とはいえ、(前編で話をした通り)高校ではあまり上手くいかないことも多くて、公式戦での出番も少なく、指導者に対しては反抗的な態度を取ってしまっていました。

自分の中では、「公式戦に出るためにはどうすれば良いのか?」「サッカーが上手くなる、サッカーを続けるために自分がやるべきことは何なのか?」ということを意識していたので、流経大柏で燻っていた自分の環境を変えたいと思っていました。

高校2年生まではトップチームでの出番はほとんど与えられず、高校3年生でのインターハイでも出番をもらえず、チャンスを掴むことができなかったんです。

「(夏からの)半年間でレギュラーになれないのであれば、高校サッカー選手権の舞台に立つことも出来ない。それならヨーロッパのシーズンを考えた時に、自分の昔からの夢だったスペインに渡り、チャレンジしてみたい。」

自分が昔から抱いていた「海外でプレーしてみたい」という気持ちを改めて思い出したこともあり、流経大柏では不本意な状況ではありましたが、在学中にスペインへ渡る道を選びました。

たらればを語ってもなのかもしれませんが、もし流経大柏で公式戦に出場できていたら、17歳では海外に渡っていなかったのかもしれません。

ーー海外に行くと決めた時、周りからの反応はどうでしたか?

当時はそうした相談を同級生にはしておらず、スペイン行きを報告した時は、流経大柏サッカー部のほぼ全員が驚いていました。

ただ、そうした驚きが収まったあとの冷静な意見としては、大多数の人から反対されました。

「お前じゃ失敗する」
「考え方を180度変えないと無理だ」
「そんな無駄な挑戦するな」

当時はレギュラーでもなかったので周りから見れば当然だと思いましたし、実際にこうした心ないことを直接言う人もいれば、陰で言われることもあったりという状況でした。いまだに「誰に何を直接言われたか」は鮮明に覚えています。

ただ、中には「お前は(性格的に)スペインに向いてるし、チャンスあると思うよ。」と言ってくれた人もいましたし、そうした声がけは励みになりました。

個人的な心持ちとしては、結局は「自分が決めた道」なので、正直なところ周りの声にとらわれることはなかったです。

心ないことを言う人たちに対しては、「いつか見返す」ではないですけど、「高校サッカーではレギュラーとして出番がなくても、やる気さえあれば、いずれ海外で活躍できる。」というのを証明したいと思いました。

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一筋縄ではなかった「スペインでプレーすること」

ーー自分の意思でスペインへ行く決断をしたとのこと。実際に現地へ行くと、どのような環境が待っていたのでしょうか。

実際にスペインへ渡ったのちは、語学学校に通ったり、ホームステイで現地に滞在させていただいたりしながら、サッカークラブのトライアウトに挑んでいました。

最初に受験したのがCDレガネスというチーム。そこは世代別のナショナルチーム(世代別の日本代表)に選ばれていた人じゃないとテストを受けられなかったのですが、自分はその条件には当てはまっていたので、トライアウトに臨むことができました。

そして、なんとかトライアウトを勝ち抜いてCDレガネスに入団することができ、幸先の良いスタートを切ることができました。

CDレガネスでは世界各国から選手が集まるトップチームを抱えていたこともあり、レベルの高い環境でのプレーを体感できました。

現在ではスペイン1部のトップチームで活躍している選手とも一緒にプレーしていたので、そういう場所に身を置けたというのは良い経験だったと思います。

ただ、外国人枠もあるので、そこはスペイン国籍の選手に比べたらハンデを背負ってしまう面は正直ありました。

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ーレガネスの後は、レアル・アランフェス(スペイン4部リーグ)でプレイしていらっしゃると思うのですが、どのような経緯で移籍したのでしょうか。

レガネスのBチームでプレーできる話はあったのですが、報酬などを始めとしたお金の問題、トップチームでのプレーを優先したかったなど様々な理由によるものでした。

Bチームだと最低限の衣食住を満たせる環境しかなく、4部のチームの方が待遇が良かった、かつトップチームでプレーできるチャンスがありました。

ただ、今考えればレガネスを選べばトップチームとの関われるチャンスもあった、加えてのちに1部に昇格するので他チームから注目される機会もあったかもしれないので、金銭的に苦しくても残った方が良かった可能性もあります。

柏レイソルのジュニアユース時代の後輩である伊藤達哉(現ハンブルガーSV)の例もあるので、もしかしたらBチームで活躍してトップチームから召集される機会もあったかもしれない。そう言われたら否定はできません。

ただ、「自分が選択した道」である以上、当時の選択に対して後悔を感じたことはありません。

「スペインの4部のチームへ行かず、レガネスに残るという選択肢を選んでいたのだろうか?」と思うときもありますが、それも一つの経験として今後の人生に生かす部分と捉えています。

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ーその後に、モンテネグロ、そして現在のフィンランドと活躍の場を移していますが、それぞれの環境を選んだ理由や経緯などを教えていただけますか?

もともと「スペインでプロになる」という目標を持って高校を辞めたのですが、4部でやっているうちに、そこから1部や2部に上がるのは難しいという現実に直面しました。

例えば、スペイン3部に行っても、その後スペインで生活できるだけの筋道を見つけるのが難しいことがわかったんです。

その時に留学支援の会社から、「モンテネグロという国でプレーできるかもしれない」との話があり。

一時期日本代表にも選出され、サガン鳥栖でもプレーしていた加藤恒平選手の存在もあり、モンテネグロを経由してドンドン成長していったプロセスが魅力的に思えたんです。

そうすれば、少し遠回りかもしれないけど、いずれは大きな舞台でプレーできるチャンスを掴めるかもしれないと。

結果的にはFKイガロ(モンテネグロ2部)に移籍することができ、モンテネグロの国内カップ戦でベスト4まで進出したことがキャリアとしては大きな岐路になりました。2部チームが全国ベスト4まで駒を進めたのはモンテネグロ史上初とのことで、準々決勝がテレビ放映されるような異例の快進撃でした。

そこでのプレーを評価していただき、現在はフィンランドのFFヤロでプレーしています。

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「練習に臨むスタンス」を教えてくれたスター選手との出会い

ーメンタル面や心構えの話に移しましょう。日本人がよく「ミスを恐れる」とか「失敗を引きずる」という問題を抱えていると海外でプレーしたサッカー選手がコメントに残していますが、外国で感じた「価値観の違い」などを教えていただけますでしょうか。

価値観的な違いで言えば、試合でミスをしてうまくいかなかった時に、すごく落ち込んだり、試合後に下を向きながらフィールドを後にするような振る舞いをしないようになりました。

外国人が落ち込まないわけではないのですが、切り替えが早くて次を考えるようになる工夫が、大抵の場合は日本人よりも長けていました。

文化の違いなのか、

「お前は何でそんなに落ち込んでいるんだ」
「なんでそんなに試合終わった後下向いてるんだ、早く忘れろ」

みたいなことを最初は言われたり。

僕自身も勝負事で負けてしまったり、自分が上手くいかなかったりしたときにすごく落ち込んでいたのですが、次第にそうした切り替え方を意識することで、次に引きずらないようになりました。

あと、フィンランドでのチームメイトにダルビン・チャベスという選手がいて、その人から多くの影響を受けました。

彼はロンドンオリンピックで優勝したメンバーで、メキシコA代表での出場経験があるんです。

モンテレイというメキシコのチームに所属していた時は、クラブW杯にも出場していました。

クラブワールドカップではレアンドロ・ドミンゲス(現横浜FC)、ロンドン五輪決勝では、(ブラジル代表の)フッキ(現上海上港)とマッチアップしていた選手で、自分が彼とフィンランドで一緒にプレーできたのは奇跡なんじゃないかと(笑)。

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その選手に話をされたのは、例えば「※鳥かご」の練習を開始する際に、率先して僕が鬼をやったりする行動がダメだと。

※鳥かご:1人もしくは数人の鬼役を決め、その鬼役の周囲を多数で囲み、ボールを回していくトレーニングメニュー。鬼役にはボールを奪われないようにパスを回す必要がある。

そうした振る舞いを繰り返すと、最終的にはチームメイトの中で自分の地位を下げてしまう。外国でそういうことをすると「ああ、じゃあ毎回お前が鬼でいいだろ」と足元を見られてしまう。

「外国人選手」としてチーム内で存在感を示さないと、次第に居場所を失うということを彼に教えてもらいました。

チーム内で同じ序列の選手がいたり、自分の調子が悪かったりしたときに、そうした些細な部分の積み重ねで、周りからどういう風に見るかが全然変わってきてしまうと。

そうした行動の繰り返しで、「お前なにやってるんだよ」みたいなことを、自分が悪くなくても、チームメイトから言わやすくなってしまうんです。

例えば、公式戦で自分がボールを取られて失点した時に、現地の選手、言語が通じる外国人に対してはキツく言いにくい雰囲気はあります。しかし、それが“日本人”という外見だけで咎められやすいんです。

こういう繰り返しが、監督やコーチからも「こいつがミスするからチームが上手くいかない」みたいな判断に繋がってしまう。そうなると出番を失ってしまう。

こうした一つ一つの態度の積み重ねを大事にすることは、海外で4年プレーして得た、大きな学びの一つです。

あと、仲の良いチャベスが熱く語っていたのが、 「俺の周りでドイツやメキシコといったトップクラスでやってる選手たちは、1年で何千万、何億円と稼いでるけど、お前(高橋選手)とその選手達の違いってわかるか?」と。

「お前(高橋選手)はボールを持ったり、試合に出ている時の能力はあるけど、そういう“小さな損”がその選手たちとの違いだよ」と言われたのは、強烈なインパクトとして頭に残っています。

ヨーロッパの舞台では、僕自身も「外国人選手」の1人としてピッチに立っているわけで、もっと自覚を持たなければいけないなと。

経験がある選手、しかも実績を残している選手からそう言われて、自分としても考え方が腑に落ちました。

ーー今後については、どのようなプランを描いているのででしょうか?

今後も引き続きヨーロッパでプレーし続けたいと思っています。ヨーロッパの場合、対戦相手、もしくは別の選手を偵察にきていたスタッフから評価いただき、次第にステップアップできる環境があります。

個人的には、チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグの予選に出ているようなクラブでプレーしてみたいなと思っています。

もちろんすぐには試合に出られる保証はないですが、スペインやイタリアのような強国のみならず、そうしたコンペンションはヨーロッパ全土に門戸が開かれているので、意外とチャンスがあるんです。

厳しい環境であることは重々承知ですが、そうしたチャンスに1回賭けてみたいとも思っています。

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ー改めて、(1996年生まれの)22歳という年齢。井手口選手や手塚選手といったチャンスを掴んでいる人もいたり、同年齢の早生まれだと東京五輪世代が該当すると思います。特に、この春で大学を卒業してプロとなるプレイヤーもいる中で、今の年齢を踏まえて、そして日本のサッカーを見て何か思うことはありますか?

いつも身近だった友人がJリーグで活躍していたり、後輩がドイツのブンデスリーガで活躍したりしていて、すごく刺激になっている反面、自分の現在地を俯瞰して見ると、そのレベル差を相対的に痛感してしまう部分もあります。

ただ、僕自身は日本でプロになれる見込みがなくて海外に渡ったのですが、そうした自分でも海外でプロ契約を結ぶことができて、今もいろんなチームから話をもらえる生活ができている。

だからこそ、いくらでも伸び代というか、自分次第で道を切り開いていく方法はあると思っています。

あと、海外でプレーしているからこそ、日本のサッカーメディアで同年代の情報が入ってくると、「自分も頑張ろう」と思えます。

たとえば今回FC岐阜に内定が決まった会津雄生選手は小学校からの知り合いですし、いまだに連絡を取り合っています。彼から「プロ入りが決まった」という報告をもらった時には、自分のことのように喜んでいました。

そのような各チームで活躍する周りの存在があってこそ、今の自分が頑張れているのは間違いありません。

将来、いつか同じピッチで対戦することを夢見てしまいますよね。

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ーーこの記事は、現役の流経大柏高校のサッカー部に所属する選手、高校サッカー選手権に出たことのある選手、そしてサッカーを生きがいにしたい人たちの目に触れると思うのですが、高橋選手が大事にしてきた価値観、そういう方々に届けたいメッセージなどを残していただけますでしょうか。

僕が高校生の頃は、今振り返れば全然ダメダメな例に挙がる態度だったと思います。当時は、全然サッカーと向き合えていなかったわけですし。

でも、レギュラーじゃない選手を始めとして、「環境」や「自分の偽りの気持ち」のせいにして、夢を諦めてしまう人は少なくないと思います。

「プロになりたい」と願っている人は最終学年でベンチ外の選手にも一定数はいて、その数は決して少なくないはずなんです。

ただ、そう思っていても「試合に出れていない自分が表立って言える話じゃない」と、本心を隠してしまったり、恥ずかしがってしまう場合が多いのかなと。

自分もかつてはそういう立場でしたが、海外に飛び出してみた結果、今となってはサッカーを仕事にできる程度は稼ぐことができ、これからも上に行ける可能性が全然残っている。

生きていく上で、

  • 自分にとって何が大事か
  • どれだけサッカーを好きでいれるか

を突き詰めることの方が、幸せになれると思うんです。

だからこそ海外に行けたし、海外でプレーし続けるという意思が継続できている。高校で出番を失っている選手でも、まだチャンスがあるということを伝えたいです。

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「意思」と「目的」を持って次のステージを決めることの重要性

プロの道を選べない多くの高校生は、「高校サッカーの後には大学サッカーへ」というスタンダードな考え方があるとは思います。

ただ、「大学でもプロになれなかった人」である場合、相当サッカーが好きじゃないと「続ける」という選択肢を取れない人が大多数かなと。21〜22歳のタイミングで、「サッカーを続けること」を道半ばで諦めてしまう選手も少なくないんです。

実際、大学サッカーを引退した友人から、「海外でサッカーを続ける方法を知りたい」という相談が最近増えつつあります。

そうした話があれば、自分のツテでいくつかのクラブを紹介したり、知り合いのエージェントを繋いだりすることぐらいなら力になれるので。

実際に流経大柏時代に一緒だった宮川類(元慶應義塾大学ソッカー部)という選手がいて、彼は今回スペインに留学することが決まりました。

彼から留学の相談を受けた時、自分のこれまでを全部電話で伝えました。自分の経験を彼には活かして欲しいので、同様の環境下にいる人の力になりたいと思っているんです。

あと、外国に行ってみて気づいたのが、大学とか関係なく、自分のやりたいことであれば変な縛りを設けず、興味関心に基づいて取り組むことが当たり前だということです。

日本社会の場合だと「大学を卒業したら就職」みたいなレールを意識したキャリア観が一般的です。そのレールに乗らないと、逆に「周りからどういう目で見られるか?」という体裁を気にする人が凄く多い。

もちろん。個々の人生ですし、一つの区切りを設けるのは正しい方法だとも思います。

ただ、せっかくの自分だけの人生だし、「今だからこそできること」にチャレンジする機会を「なんとなくの決まり」で絶ってしまうのは非常に勿体無いと思います。

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ーー大学サッカーが終わったら「就職活動を必ずしなきゃいけない」「社会人として真っ当な仕事につかなきゃいけない」と思い込んでいる人は少なくないと思います。「サッカーが好き」という気持ちを持ち続けているのであれば、成功の可否はわからずとも、それを実際に確かめてみるという選択肢もあると。

大学に通っている多くの選手から聞くのは、「実際に大学へ4年間行ってみたけど、高校の時に比べて得るものが少なかった気がする」という話をする選手が本当に沢山いるんですよね。

僕は全然そういう事情を知らなくて、「海外でプレーしたい選手とかいないの?」と聞いても、「サッカーへの熱がなくなってしまった人は多いよ」と言われてしまうことが本当に悲しくて。

かつて自分と切磋琢磨していた中高時代のギラギラしていた印象が記憶に残っていたので、すごくショックを覚えました。

この話を聞いてから、「プロに行く」というチャンスを掴んだ選手は激しい戦いを制してここまで登りつめてきた訳だし、改めて頑張って欲しいなと思い直しました。

そして、サッカーを辞めていく選手、特に自分の納得感が不十分なまま道を絶ってしまった選手の分も、僕も含めて「海外でプレーする選択肢」を提示できるようなアプローチを、メディアを通して伝えることができればと思っています。

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基準となる「モノサシ」を担える人との出会いを大切に

ーーそうした「選択」を自分の持ち札だけで考えてしまう人は、サッカーという文脈に関わらず、多くの場面でも当てはまるかと。もちろん、「プロになる」「大学で然るべき学びを得る」といった目的を持って進路を決める人もいると思いますが、自分で何も深く考えずにここ(22歳)まで来ちゃった人は「自分が意思決定をするタイミング」を初めて迎えるではないでしょうか。

「レールから一線外れて、人とは違うフィールドでチャレンジする」というのは、「サッカーがどれだけ好きか」とか、「どれだけサッカーで長くご飯を食べていきたいか」といったように、何かしらの相当なこだわりがないとできないと思います。

「熱心な気持ち」がないと、絶対に「続ける」という選択肢を取れません。

あとは、海外でサッカーを続ける場合は、僕も含めて「どれだけ海外でやっている選手と接することができるか?」というのが、大きな影響を及ぼすと思っています。

今回の記事を通して、自分は「サッカー選手」という意味合いよりも、「人とは違う決断/選択をした人」、「普通の道を選ばなかった人」として紹介されたら嬉しいです。

自分に嘘をついて夢を諦める人を減らし、「俺もチャレンジしよう!」と思える高校生や大学生、「人とは違う方法でも成功するチャンスを掴みたい」と考えられる人を増やしたいと思っています。

もちろん、自分もこういう内容を発言しているので、行動を伴った結果として示していかねばと思っています。

だからこそ、みんなにはキッカケとなる人との出会いを大切にして欲しい。僕自身も、かつて一緒に過ごした選手、お世話になった人の近況を聞くことで、そこを基準として次の行動に移すことができました。

物に例えて申し訳ないのですが、「自分のモノサシ」となる基準から、自分の現在地を把握できていたのだと、改めて思います。

今回の記事を通じて、僕も「誰かのモノサシ」になることができて、興味関心に基づき、次のステップへと進める人が増えれば嬉しいですね。